わくサポ広島とは

代表理事 杉野 治彦

代表者メッセージ

わたしたち「わくサポ」は、発達特性や生きづらさを抱えた若者たちが、自分らしく社会とつながり、未来に希望を持てるよう支援する法人です。
目には見えにくい特性や困りごとが、誤解や孤立を生んでしまう現実があります。だからこそ私たちは、「心のバリアフリー」という理念のもと、理解と支え合いの輪を広げています。
支援は、ただ“話を聴く”だけではありません。「その人らしく生きる力」を引き出すことが、私たちの役割です。相談・学び・働く・暮らす——人生のさまざまな場面に寄り添い、あなたのタイミングに合わせたサポートを用意しています。
ここは、特別な人のための場所ではなく、誰もが安心して一歩を踏み出せる場所です。どうか、勇気を出して「わくサポ」の扉を開けてみてください。あなたの未来に、寄り添い、共に歩んでいきます。

代表理事略歴

昭和62年3月 ・広島大学教育学部卒業 障害児教育(自閉症)専攻
・民間企業にて人事・採用(新卒・中途)業務を10年以上経験
平成19年4月 ・キャリアコンサルタントとして活動開始
平成22年1月~平成24年6月 ・広島市ひきこもり相談支援センターにて相談員
・平成24年7月より現職
・産業カウンセラー/ジョブコーチ(第1号職場適応援助者)
平成29年12月~令和6年3月 ・RCCラジオ「おひルーム」出演
平成29年12月~ ・広島県内の地方自治体や社会福祉協議会などで講演会多数
中国新聞に掲載

企業理念および行動指針

企業理念:輝く未来サポート企業

私たちは、輝く未来サポート企業として、一人ひとりの意思と人格を尊重し、誰もが、自分らしく輝ける新しい社会の実現に貢献します

行動指針:企業理念の精神に基づき、従業員の行動基準を以下の通りと致します

  1. ①地域社会への貢献

    私たちは、地域社会との交流を図りながら相互理解・相互支援を深めつつ、その発展に積極的に貢献します

  2. ②利用者第一主義

    私たちは、利用者の方の本質を理解することを第一に考え、誰もが安心で安全な日常生活を営むことが出来るよう包括的な支援を行います

  3. ③柔軟性

    私たちは、徹底した現状把握や分析のもと、過去の慣例などに捉われず、最適な対応を行います

  4. ④自信と矜持(きょうじ)

    私たちは、「人に対応する仕事だ」ということを忘れず、自信と誇りを持って業務に取り組みます

  5. ⑤人間力の向上

    私たちは、「人に対応する仕事に従事する者」として、人間力の向上に努めます

法人概要と理念の原点

― わくサポが生まれた理由と、
「輝く未来」へのはじまり

■ “輝く未来”に込めた本当の意味

私がこの言葉に込めた想い──
それは、「発達特性がある人たちが生きづらい社会」へのアンチテーゼ。
“目に見える障害”は社会の理解が進んでいる。
しかし、“目に見えない特性”は、理解されづらく、誤解されやすい。
それが「生きづらさ」を生み、支援からも取り残されていく現実がある。

■ そこで掲げたのが、わくサポのキーワード

「心のバリアフリー」
かつて「バリアフリー」といえば、段差のない道路、スロープ、 車いす対応トイレなど、身体障害のある方への「物理的配慮」を指していました。
でも、発達特性のある人へのバリアは──
目には見えず、「理解」の欠如という形で存在しています。

  • “発達特性は「わがまま」でも「怠け」でもない”
  • “困っているのは、本人ではなく、環境との相性”
  • “周囲のちょっとした理解と関わりで、未来は変わる”

わたしたちは、こうした「気づき」を広げていきたいのです。

■ 法人の歩み:沿革

2012年 一般社団法人 青少年ワークサポートセンター広島 設立
2012年 生活訓練・就労移行支援 開設
2014年 就労継続支援B型 開設
2017年 「CUBE THE BAKERY」横川本店 オープン
2020年 グループホーム 開設・通信制高校サポート校開設
2021年 放課後等デイサービス 開始
2022年 トークイベント「不登校・ひきこもりの授業」定例開催スタート
2024年 YouTubeチャンネル開設

■ わくサポの存在意義とは?

わたしたちは、「特別な誰かを守る存在」ではなく──
“誰もが誰かのために動ける社会”のための、仕組みと土台をつくる法人です。
そしてそれは、すべての人にとって
「自分の特性を活かしながら生きられる社会」
「必要なときに支援が届く社会」
そんな“輝く未来”の実現につながると、信じています。

わくサポの支援体系と
事業全体像

―「相談だけでは変わらない」から始まった、支援の進化

■ わくサポの支援体系が「総合的」になった理由

わくサポの支援は、最初から「障害福祉サービスを総合的に展開する法人」だったわけではありません。
その始まりは、“相談だけで終わらせない”という一人の想いと実践から始まりました。

■ 原点は「キャッチボール支援」

大学時代、私の専攻は「自閉的傾向のある子どもたち」に関する研究。
会社経営の現場では、長年にわたり学生のリクルーティングを担当し、さらに心理学への関心から「カウンセラー」の資格を取得。
そんな私が、「ひきこもりがちな若者の自立支援NPO」に関わりはじめたのが、すべてのきっかけでした。
『相談に来られる若者たちと、河原でキャッチボールをするようになったんです。
最初は何気ないことでした。でも、その子たちがどんどん元気になっていった。』
太陽の下で体を動かすことで、自然と気分が上向いていく。
今思えば、それは「日光・運動・人との関わり」という回復の要素が重なった結果だったのでしょう。

ところが──
「あなたの仕事は相談を受けることです。キャッチボールをさせることではありません。
もし怪我でもされたら、誰が責任を取るんですか?」
行政の職員から、そう注意されました。
『そのとき、思ったんです。“相談だけでは人は変わらない”。
“もっと元気にする方法が、必ずあるはずだ”って。』

■ 制度に支援を合わせるのではなく、「支援に制度を合わせる」

私はそこから、「障害福祉制度」について勉強を始めます。
活動の中で気づいていたのは──
「ひきこもり状態にある若者の多くが、実は“発達特性”を持っていた」
そして、制度を“枠”として使うのではなく、
「必要な支援を届けるための道具」として使う発想へとつながっていきます。

■ 「ひきこもりを防ぐには、不登校支援が必要だった」

やがて数年が経ち、多くの若者が就職・自立していった頃、ふと感じた違和感。
『就職者は出ているのに、支援希望者は減らない。むしろ、どんどん増えていく。』
分析を重ねた結果、たどり着いたのは──
「ひきこもり経験者の多くは“不登校”を経験していた」
「でも、不登校経験者すべてがひきこもるわけではない」
つまり、不登校の段階で支援が届けば、将来のひきこもりを未然に防げるのではないか?
そう考えた私は、「不登校支援」へと舵を切る決断をします。

■ そして、気づけば“総合的支援法人”に

  • 相談支援だけでなく、居場所をつくり
  • 心が落ち着いたら、学習支援へつなぎ
  • やがて障害福祉サービスとして就労訓練を提供し
  • 必要な人には、住まいやグループホームも提供し
  • 地域啓発のために、トークイベントやYouTubeも始めた

『“必要な支援を、必要な人に、必要なタイミングで”。
そうしていたら、いつの間にか“わくサポの総合的支援体系”ができあがっていたんです。』